日常

しがない生活

0420

久しぶりに実家から通勤している。相変わらずこの電車は人が多い。寝過ごしたら奈良に行ってしまう例の電車である。高校生と大学生と専門学生とバイトと会社員で溢れている。たまに乗ってくる小学生と中学生もいる。大体みんな携帯を見ていて、他は寝てるか本読んでるかじっと外を見ているか。たまに何をしているのかわからない人もいるし、絵を描いてる人もいる。これだけの人間が朝6時半から電車に乗りどこかへ向かう。いったいどこへ行くんだろうか。みんな「仕事」だ。

大学を卒業して突然始まった社会人も3年目を迎えている。あるポイントでたまに思っていた「辞めてやる」は頻度を上げて、最近ではあと一年コールが脳内で始まっている。追い打ちをかけるように、流行り病に邪魔された「あの時行ってみたかった」職場の人材募集広告が流れてくる。「経験年数3年以上」なるほど。社会は上手にできている。やっぱりあと1年は必要ということである。「とりあえず3年」という風潮はそう簡単には消えない。消えないし、消えない理由もなんとなくわかる気がする。

3年という数字は物事を全体的に理解できるようになる年数で、さらに5年というのは理解した上で動けるようになる年数で、そのまたさらに7年というのは、応用がマストになり、完璧コースとなる。ただ過ぎ行く日々が積み上がり、人間を変えていく。一種の育成ゲームである。或いはRPGの類でもいい。ただ、変わらない人もいる。それでもどこかが変わっていく。それが進化なのか退化なのかはおいといて。

3年前、自分が落とされた会社に後輩がいく。それも自分の勧めで。なんという巡り合わせ。2年前卒業した大学のゼミの教授と企画をする。なんという贅沢。

恵まれている、と思う。1年目の自分は正直頑張りすぎた。必死にやっていたからできていたことを、なんとも可哀想に、仕事ができると認識されてしまった。仕事がないよりは、ましである。が、相変わらずとことん損する性格をしている。色々と“上手”じゃない。違うな。不器用すぎる、だな。

久しぶりにこんなに長い文章を書いた気がする。内容があるのかないのかはわからない。ただ、今朝見た懐かしい夢がまだ心を引っ張っている。あと20分したら会社だ。

 

さて、今日も。